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月別アーカイブ: 11月 2016

初めての1人暮らしは賃貸、売買どちらがいいのか考えてみよう

一人暮らしのマンションと生活

私は数年前にアパートで一人暮らしをしていました。派遣先の企業で借り上げている単身向けのアパートでした。アパート全室を借り上げている訳ではなかったので隣人の方は会社も違う全く知らない人たちでした。2階建てのアパートで部屋数は全部で8室でした。私が入居した時は8室全てが入居済みでした。家賃は通常なら4万円だったそうですが、私の場合は会社と折半という形だったので手出しは2万円でした。会社の借り上げだったので敷金や礼金などもなく住居時のお金はほとんどかかりませんでした。住居していたのは1年半程でした。その入居していた期間にあったことやトラブルなどを書いてみますので、これからアパートで生活をしようと思っている方などの参考になれば良いと思います。賃貸か売買か迷う方も多くいらっしゃるかもしれません。
私が入居したのは2階の端から2つ目の部屋でした。隣は40代の1人暮らしのおばさん、逆隣りは50代くらいのおじさんでした。真下の方は多分20代後半の男の人でした。
入居時はお金もなく隣の方に挨拶に行けませんでした。今思えば、手土産など持たなくても一言挨拶に行くべきだったと思います。入居してから2週間くらい経った時に、隣のおばさんから「挨拶くらいしなよ!」と言われ、そのタイミングで両隣の方に挨拶をしました。それで仲が悪くなったりした訳ではなかったので良かったですが、手土産をもって行くのが理想ですが、無くても直接挨拶は行くべきですね。後で何かと助けられたりしますから。
大きなトラブルはありませんでしたが、私は隣の部屋の騒音が気なっていました。隣のおじさんの部屋から夜な夜な結構ファンキーな音楽が聞こえてくるのです。大きな音ではありませんでしたが、多少気になるくらいの騒音でした。さほど迷惑とは思わなかったので、文句を言ったりという事はありませんでしたが、逆に自分の部屋から音が漏れないようにしょうと思いかなり気を使いました。それが結構辛かったです。どれほどの音が漏れるのか漏れないのか分からいので、基本的に物音を立てないように生活しました。TVの音量は自分に聞こえるか聞こえないかくらい低くしていました。歩く際も、忍び足という訳ではありませんが、足音を立てないように気を使っていました。そうして過ごしていると、隣のおばさんが訪ねてきました。「全然物音しないけど大丈夫かい?」と。あまりにも物音がしないので心配になって訪ねてきたと言うのです。物音を立てないように気をつけていたら、逆に心配されてしまったのです(笑)TVの音も全然聞こえないから、もうちょっと音量上げても大丈夫だよと言われました。それから隣のおばさんは料理を作ってきてくれたり、食材を分けてくれたりしました。最近は隣人との接触を極力避けるような世の中になっていますが、こういうことをしてもらえるとかなり助かります。
過度な付き合いは私も望みませんが、やはり多少の助け合いは必要だと思いました。そのちょっとした気配りや善意が人の為になったりしますから。現在は別のアパートに引っ越していますが、新しいアパートでも隣人の方とは良い関係を作ることが出来ています。

アパートやマンションの穴は売る時に評価がさがる!?

私の家はアパートだ。アパートとは大きな建物の内部を複数に区切り、個別の住居として使用する集合住宅のこと、マンションはそれの豪華なバージョンのことをいうらしい。ともかく、私の家はさして豪華ではないのでアパートに当てはまるのだろう。ほとんどのアパートは賃貸だ。持ち家と違い本質的には他人の物だ。この部分が私にとって最も重要なのだが、つまり自分の常にいる空間でもある程度の礼儀というものが必要ということになる。私の周りを見渡してみると、四方の壁の柔らかい部分には大小さまざまな穴が空いている。右手側などひどいもので、百五十センチに及ぶ大きな空洞、木枠が、そこに中途半端に打ち込まれた金釘二、三本が顔を見せている。すべて私があけた穴だった。穴の中に倒れていた小さめのリュックサックをおもむろに拾い上げる。私は十五、六歳のころに引きこもりはじめ、朝になると風呂場や押し入れにこもって家族が家を出ていくのを待った。出ていくといつも笑みがこぼれるほどワクワクしていた。家族が返ってくるまでは世俗、社会の悪臭をかがずに済むからだ。詩人になりたかった。木を美しいとは思えなかったが、美しくなければいけないと思った。人間がこんなに邪悪なのだから。邪悪だからこそ美が理解できるのだと考えた。一人でいるときはテレビゲームをして時間を消費し、家族が帰ってきたときは布団にこもり惰眠と共に朝を待った。こんな日々を送っていた。今も本質的には変わっていない。穴を見るとあの時の精神失調状態を思い出す。今月の初めに大家が私のいない間に勝手に部屋に入ったらしい。田舎だからこんなものだろう。当然、壁の穴たちの修理費を求めてくる、確か十六万ほど。当分の間払えないといったら、わざとらしく釣り上げた眉間を固めたまま舌打ちをして出て行った。
彼女は恵まれているのだろう。十六万で穴がふさがれるのだから。私の空いた穴は千年という月日でも、億を超える紙束でも、ふさげないほど広く、深かった。あけた穴の罪悪感など私には必要なかった。空いた穴の深刻さに悩むことにも、とうに快感を得られなくなっていた。ついに私が棺桶の中で腐り、散ってなお、空いたままなはずだった。幸せの崩壊に不幸は必要ない、過去を思い出させればいいのだ。誰もがみな大小さまざまな穴を持っている。私はそこまで考え、横道に逸れたことに気が付いたころには荷物の支度は終わっていた。自分で詰めた小さなリュックサックを担ぐと、深夜二時の外に繰り出した。やっぱり東京かな、と私は思った。